夢見る屁理屈屋

 最近、随分読書づいてきましたよ。漸くというか今更というか。
 東急の平和っぷりとMP3プレーヤ(のリモコンのクリップ)の破損の後押しも相当大きいけど、やはり某氏からお勧めの本をまとめて借りたのが大きいと思う。進行度も没入度も断然違う。
 特にクリティカルヒットだったのがジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」。トンデモ理論を理詰めの論述でそれっぽく感じさせる、何とも「騙されてる(笑)」感が実に心地良かった。他にももっと出来の良い本を借りていたのに(個人趣味の差で)いまいち霞んで見えてしまったくらい。理屈屋というか屁理屈屋?(ぉ)にはこの作りは堪らんですよ、先生。
 で、続くガニメアンシリーズ三部作を今日読み終えたところ。しかし、うーん、いまいち素直に受け容れられない自分が居りまする。いや、良く出来てるし、実際凄く盛り上がって面白かったんだけどね、でも「何故に今更政治問題が出てくる?」という疑問符は最初から最後まで付きっぱなしだったなぁ。
 「星を継ぐもの」と二作目「ガニメデの優しい巨人」については学術論的面白さは勿論、もう一つ印象的だったのは、理想或いは夢想とも言える一切合切の人的衝突を取り払った「悪意の無い社会観」が実に気持ち良く描かれていた点。余計なノイズに悩まされる事もなくひたすら前向きの回答が積み重ねられていくポジティブスパイラルの感覚は、この荒んだ東京砂漠に暮らす無力な一市民の心を癒してくれたとも言えてしまう訳で。馬鹿だろうが甘ちゃんだろうが、正しく理想を追い求める姿勢に一体何の批判があろうか、とね。
 しかしそれが三作目「巨人たちの星」に入って唐突に、アメリカ・ソビエトの冷戦から星系レベルの陰謀まで飛び出すというすっかり掌を返したかの様な作品展開には、結局は「野暮な”リアリティ”の要望に屈してしまったのか?」という疑念が絶える事はなかった。前作で政治問題完全無視のファーストコンタクトまでやらかした作品の世界じゃねーよコレ!、ってね。悲しい。

 因みに、都合上この前に新三部作の第一部「揺籃の星」の方を先に読んでいたのだけど、こちらも理想世界クロニアと、進歩も止め利権にまみれた旧世界地球との確執がネチネチと描かれた時は相当首を傾げてしまったもの。ただこちらは、後に文字通りの「滅亡」を迎える惑星地球の混乱の最中、「我々は悲しい世界に住んでいるな、ランデン」の一言を下巻まるまる一冊使ってまで描いて、続く続編で「”リアル”な理想社会の再構築」でもやらかしてくれるのかと、期待半分不安半分で妄想したりしてたんだけどね。

 やっぱなぁ、ホーガンは羨ましく思えるくらいの理想家であって欲しいのですよ。私的には。
 他の作品はまだ読んでないから、あくまで初期の印象に過ぎなかったのかもしれないけどさ。
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